今朝の散歩で、名も知らぬお爺さんに会いました。
これまでに数回出会って、こんにちはと言ったことのある人です。
いつも狭い歩幅で坂をおりて、買い物に行くらしい。

今日は立ち止まると、自分の物語を私にくれました。
子供は居ず、兄弟には縁を切られている。
その理由というのが、母親が83才で車にはねられて亡くなったけれども、はねた人には4人の子供があった。兄弟はお金を払わないなら刑務所に入って欲しいと言ったけれども、彼は町の人から署名を集め、嘆願書を出したのだそうです。兄弟は自分だけお金を受け取ったと判断したそう。

罪もない子供たちが、一生親が犯罪者という汚点をしょったら可愛そうというのが、彼の気持ちでした。自分は死んだら無縁仏として葬られれば良いのだと、それだけ私に言うとさっさと行ってしまいました。

これは私が宇宙に質問した答えなのでした。
一度、返答と思うことをもう受け取っていましたが、これは間違えようもない言葉で表現されたものでした。
不安からでなく、愛だったらどうするかで行動せよ という。
見えなくてもある世界を、私はまたはっきりと感じました。

以下は本から抜粋です。
「病や不調は健康と快調の対極であり、あなたがたの要請に応じて現実になる。どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にはならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。個人的な深い失望も自分で選んだものだし、世界的な災厄は世界的な意識の結果である。」

「外に向かってではなく、内に向かって、『この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか』と問いかけなさい。人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。
これがすべての魂にとっての真実だ。宇宙には創造者がいるだけで被害者はいない。」

「神との対話」 ニール・ドナルド・ウォルシュ著より