早朝少し気温が下がり、山からこじゅけい・鴬・いそひよどり等のきらめく声が聞こえてくると、少しほっとします。もしこの狂ったような暑さだけで、彼らの希望の歌がなかったら、どんなに心細いことでしょう。

私たちは分かっているつもりでいますが、自分達がしていることや回りで起きていることの真の意味を、知らぬまま通り過ぎているのだなぁと思います。この山や川や木々を、生きているスピリットの宿るものとして感じる人がどれだけいるでしょう。大きな木が在るとき、その深く張った根が地中のミネラルと共に吸い上げた水を葉から蒸散させており、それが湖や海から蒸発する水とは全く違うエネルギーを持った貴重な水なのだと理解する人は?

狭い鶏舎に押し込めて餌だけ食べさせ、楽しく生きることを知らずに生み続けられた玉子と、土や籾の上を歩き、足で掻いて砂浴びをし虫を食べる鶏が産んだ玉子とは、見た目は変わりませんがエネルギーは全く違います。肉についても野菜にしても同じ。

人のする余計なこと(化学肥料・除草剤・殺虫剤・肥料)はせずに作った自然栽培の米を食べるようになって、酷暑の夏も素麺を必要としなくなりました。パンも要らなくなります。これらの米は、生産者が楽しく歌って苗を植える作業をする、毎日声をかけるなどによる影響を受けるようです。それらは全て目に見えません。

この世界がそのような成り立ちなのだということに、多くの人に気づいて欲しいと思います。見えないエネルギーの在り方を大切に思って何事にも向かうとき、きっとこの世界の崩壊を止めることができるでしょう。