面倒なのは潜在意識の枷のほかにも、家族に存在する「場」というものがあることです。親が自分(子ども)の方を向いていないと感じて育った人、居ると思います。親もむろん枷のかかっている可能性はあり、それはその人の責任とは言えません。

他にもその家系の中に自殺した人や、社会的に拒否される病気などで家族に無視されたり忘れられた生涯を送った人がいると、その人につながり、補い、愛を向けようとする子どもが生まれてくることがあるのです。なのでこの世界はややこしく、同じ人間の視線でひとのことを理解したり判断したりは難しいこと。

そのように異なるものの見方をもっている人どうしが、不安や恐怖から物事を判断し始めたらどうなるでしょう。それはドラマの台本をすべて読まず、物語のすじを知らぬまま、自分のセリフの前後だけ覚えて参加する俳優のようなもの。あるいは真っ暗な中、懐中電灯で照らして見えた範囲で、自分の居る場所や状況を判断しているようなもの。

私たちは人としてどんな状態であっても、その底には宇宙の源と同じものをもっており、それはすべての人、すべての存在にあるものです。そこに触れ、そこにつながって生きるようになれば、人生の物語の全てを見通してセリフの意味を知り、また気に入らなければ書き換えることもできるようになるのです。

電気がついて、あるいは太陽が昇って、あたりの状況がすっかり見渡せればおのずと自分の状況を判断できるというものです。そうなれば、自分の気に入る場所に移動することも可能です。もう不安からエゴの判断を下すこともないでしょう。

私たちはつねに自分はどうありたいか、どういう存在なのかを言葉や行動で表して生きるのです。