おそらく私たちが間違えてしまうのは、自分や他の存在を見えているもので判断するからでしょう。それを自分自身にもしているのに、私たちはなかなか気づけないようです。自分を愛せないでいても、そう自覚できないでいます。

苦しいような、不安な感じがしているときは大体そう。もう道がないような気がしたり、ひとはみんな自分のことを変にとり、理解してくれないように思うときもそう。まわりの人が楽しそうで力がありそうで、能力もありそうで、何故自分はそうなれないのかなどと感じるときもそういう状態なのでしょう。

それはポジティブとかネガティブとかの問題ではなく、ただ深い自分の部分とつながっていないために、わからなくなっているだけなのです。説明のつかない不思議なことが起こり、見えないけれども何かが働いているとしか思えないとき、「見えなくてもある」という存在に気づきます。

毎日に流されて気づけないでいるだけで、誰でも思わぬところで助けられたとか、偶然出会ったものを気に入ってずっと続けることになったとか、うまくひょいと差し出されたような出来事や体験があるのではないでしょうか。それを私たちは証明できないからという理由で単なる偶然とし、見えない力の働きとは考えないだけなのです。

何度も説明のつかないことが起こったのを体験し、私は今ではその存在を疑わないようになりました。なので、深い源の自己は全ての存在とつながっていることも疑いません。多くのひとがそうなったとき、一部の人達が利益のみを追求し搾取しているこの世界は変わるのだと思っています。全てがひとつなら、そんなことは意味のないことなのですから。