その二胡教室、内輪での発表会があります。もう4-5年前になりますが、その時にも不思議な体験がありました。その時の私は、もう亡くなった父に曲を通して伝えたかったことがあったのです。

父は生涯働き通し、お金をためて立派な家を建てることに生きた人でした。父にとっての家は家族との温かいつながりというよりも、建物の在り方にあったようです。自分が子どもの頃、家族の温かいつながりのうちに育まれたのではなく、丁稚さんに世話され、小学校卒業と同時にひとりで東京へ出てきたという生い立ちによったのかもしれません。

父の、家族との交流などの話を聞いた記憶はありませんでした。
発表会で弾いたのは、「幸福的家」という曲で、小さな頃の父と過ごした温かい時間の記憶を、父に向かってここに確かに幸せな家はあったのだと伝えたかったのです。

父であった存在が、確かに居てくれることを感じ、がちがちにあがって手は嫌な汗をかき、これでは手が竿を滑らず音が・・と思ったところで私の記憶は途切れました。

小さい私は、夕方仕事から帰ってきた父を喜んで、「おとうちゃま、お帰りなさい!」と玄関に駆けてゆきます。父は私を抱き上げて、ひげののびた顔でほっぺをすりすりするのです。その時の父の冷たい頬の匂い。

また、父のあぐらの中に私は座り、父が丁寧に丁寧に蜜柑をむいてくれるのを待っています。薄皮まできれいにとって、実だけを私の口に入れてくれる。それを父の足の中で待っている幸せな時間。私に見えていたのはその景色だけ、ふと我に返ると曲は終わっていたのです。自分でどんな演奏をしたのかは、まったくわかりませんでした。

そうして終えると、先生に「感動しました!」と言われたのです。他のクラスの方からも、声をかけられました。後に演奏のDVDで、自分の、音がわずかながらずれるのに心は伝えている演奏を聴きました。

これも見えない世界で起こることが、この世界での出来事をつくるという体験のひとつでした。また、常に先生のおっしゃる、演奏する者が感じていることが聴くひとを感動させるということを知った時だったのです。